東京地方裁判所 平成元年(ワ)9409号 判決 1991年9月24日
原告
菊池玲子
右訴訟代理人弁護士
斎藤誠
同
斎藤一好
同
桑原育朗
被告
高知県
右代表者知事
中内力
右訴訟代理人弁護士
下元敏晴
右指定代理人
阿部隆志
外六名
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、八九四万〇四三四円及びこれに対する昭和六三年四月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が被告に対し、被告が設置管理している「ふるさと総合センター」内の多目的ホール天井裏のキャットウォークからシーリングライト付近の梁上へ至る空間に梯子等の安全設備が設置されていないという瑕疵があり、これによって原告が右ホール観客席へ転落して骨盤骨折、右肘関節内骨折等の傷害を負い、その結果、左記の損害を被ったとして、国家賠償法二条一項に基づき右損害の賠償とこれに対する受傷の日から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を請求した事案である。
① 治療費
三一万九七二五円
② 入院付添費
二〇万四〇〇〇円
③ 入院雑費
四万五六〇〇円
④ 通院交通費
二万〇四六〇円
⑤ 休業損害
一〇八万八六四二円
⑥ 後遺症による逸失利益
二二六万二〇〇七円
⑦ 慰謝料
五〇〇万〇〇〇〇円
一争いのない事実等
1 当事者
(1) 原告は、昭和六〇年四月からフリーの照明家として稼働している者であるが、現在は日本照明家協会の正会員でもある(原告が照明の仕事をしていることは争いがなく、その余は<書証番号略>、原告)。
(2) 被告は、昭和五八年一〇月一一日、高知県幡多郡大方町入野一七六番地の二に「ふるさと総合センター」(以下「センター」という。)を設置し、これを管理している者である(争いがない。)。
もっとも、被告は、センターの管理運営を実際上は大方町公園管理協会に委託し、右協会の会長である大方町長は、更にこれを右協会の事務局長に委託していた。その結果、センターの使用許可や使用料金の徴収等の具体的な業務は右協会の事務局長が行っていた。本件事故の発生当時、同協会の事務局長は小橋従道(以下「小橋」という。)であった(証人小橋)。
2 本件事故の発生に至る経緯
(1) 原告は、昭和六三年三月中旬ころ、「ふきのとう企画」の秋田太平から、同企画が同年四月六日から同月一二日まで高知県及び愛媛県下で行う浅利香津代主演の一人芝居「影法師」の一連の公演における照明の仕事を依頼され、これを承諾した。
センターでの公演は、右一連の公演の初日の同年四月六日に行われた(以下、センターでの公演を「本件公演」という。)(<書証番号略>、原告)。
(2) 原告は、昭和六三年四月六日午後二時ころ、照明担当者として、舞台監督の秋田太平、音響効果の鈴木昭生、製作の中村ひろ子とともにセンターに到着した。原告は、小橋から照明設備を使用するための電源及び調光卓の所在を聞いた後、他のスタッフの協力を得て、センター大ホール(以下「大ホール」という。)の舞台上にあるボーダーライトの色の入替え、フラットライトの場所の変更及びロアホリゾントライトの設置等、本件公演のための照明の準備作業を進めた(原告が照明の準備をしていたことは争いがなく、その余は原告)。
(3) 右作業の途中、原告は、客席舞台寄りの天井に設置されている四つのシーリングライトに気付いたので、これを本件公演の照明に使用するため、大ホール舞台そでのらせん階段を上って大ホール天井裏に入り、客席の天井裏に南北に設置されたキャットウォーク(以下「本件キャットウォーク」という。)を歩いてシーリングライト付近へ行き、その操作場所を探したが、結局判明しなかったため、一旦これを使用することを断念した(原告)。
3 本件事故の発生
(1) 原告は、昭和六三年四月六日午後六時一五分ころ、調光卓を操作して場当たり稽古の照明を担当していたところ、小橋から本件公演の照明等の仕事の補助を依頼されていた田邊好夫(以下「田邊」という。)から、シーリングライトが使用できる旨告げられた。これに対し原告は、舞台の前明かりが不足気味であったことから、是非シーリングライトを使用したい旨返答した(証人田邊、原告)。
(2) 原告は、同日六時三〇分ころ場当たり稽古が終了したので、シーリングライトにブルーとアンバーのフィルター各二本を入れてもらうため、田邊を追って大ホールの天井裏に入って本件キャットウォーク上を歩いて行き、田邊が同所下方の鉄骨の梁上で、かがみこんでシーリングライト(大ホールの北から二番目のもの、以下「本件シーリングライト」という。)の箱ぶたを開き下をのぞいているのを発見した(<書証番号略>、証人田邊、原告)。
(3) そこで、原告は、田邊の脇へ行きカラーフィルターを同人に手渡した上、箱ぶたから下をのぞいて本件シーリングライトの照射角度を指示するため、本件キャットウォークから下方の鉄骨の梁上に足を掛けようとしたが、誤って天井板を突き抜けて約9.5メートル下の客席補助椅子上に転落し(足を掛けようとしてから転落までの経緯は不明である。)、その結果、骨盤骨折、右肘関節内骨折、左前腕骨下端骨折等の傷害を負った(原告が落下したことは争いがなく、その余は<書証番号略>、原告)。
二争点
1 本件キャットウォークから本件シーリングライトのある鉄骨の梁上に至る空間に梯子や通路等の安全設備が設置されていないことが、国家賠償法二条一項所定の「設置又は管理の瑕疵」に該当するか。
2 右1が認められる場合、右瑕疵の存在と本件事故の発生及び損害の発生との間に相当因果関係があるか。
第三争点に対する判断
一センターの設置管理の瑕疵の有無(争点1関係)
国家賠償法二条一項所定の営造物の設置又は管理に瑕疵があったとみられるかどうかは、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものであり、営造物の通常の用法に即しない行動の結果事故が発生した場合において、その営造物として本来具有すべき安全性に欠けるところがなく、右行動が設置管理者において通常予測することができないものであるときは、右事故が営造物の設置又は管理の瑕疵によるものであるということはできないと解するべきである(最高裁昭和五三年(オ)第七六号同年七月四日第三小法廷判決民集第三二巻第五号八〇九頁)。
そこで検討するに、証拠によれば次の事実が認められる。
1 センターは、土佐西南大規模公園施設整備事業の一環として、圏域住民のさまざまな文化活動、集会、研修を行うコミュニティー施設とするため昭和五八年一〇月一一日設置されたもので、大ホール、図書室、洋会議室、和室等を備えている。
その中の大ホールは、舞台を使用する催し物ばかりでなく、客室を使用する結婚披露宴、美術展、展示会、小中学校の合同学芸会等を行うことを重点とした多用途イベント型ホールであり、客席は平土間形式で移動席として設置されている(争いのない事実)。
2 本件キャットウォークは、大ホール客席天井の照明設備の保守管理作業等を行うため同所天井裏に南北に渡されたすのこ状の水平な通路で、大人一人が十分余裕をもって歩行できるだけの幅がある。
本件キャットウォークに至るには、舞台そでのらせん階段を約五メートル上り、そこで同階段の手すりを越えて一旦舞台上部のキャットウォークに移り、そこから小さな片開戸(七〇センチメートル×六五センチメートル)をくぐって客席天井裏へ入り、更にタラップを使用して本件キャットウォークの下方に東西に渡されたキャットウォークに上り、次いで本件キャットウォークに上ることが必要である(<書証番号略>、証人田邊、同小橋、原告)。
3 シーリングライトは、その照射角度を手で操作することにより、舞台側へも客席側へも明かりを照射することができる構造を備え、その明るさの調節は他の舞台照明と同様に調光卓でなす仕組みになっていた。
しかし、シーリングライトの照射角度を変更するには、本件キャットウォークから、約1.3ないし1.5メートル下方に渡された幅数センチメートルの鉄骨の梁上に下り、右梁上にしゃがみこんで作業をする必要があったにもかかわらず、本件キャットウォークから右梁上に下りる空間には、手すり、梯子等何らの設備も設置されていなかった。
もっとも、シーリングライトは底面のない箱の中に入れて吊るされ、通常その箱ぶたは閉まったままの状態にあったので、大ホールの設備内容を熟知していない第三者が本件キャットウォークの上から見ても、シーリングライトの照射角度の変更が右のとおり本件キャットウォークの下方の梁の上からなされることは分からなかった(<書証番号略>、証人田邊、原告)。
4 大ホールは、美術展、音楽会、学芸会、結婚披露宴等に使用され、演劇も年に二、三回上演されたが、シーリングライトは結婚披露宴の場合に年四、五回程度使用されるにすぎず、従前から照明家が入る舞台は持込みの機材で照明がなされ、照明家からシーリングライトの使用の申入れがなされた例はなかった(証人小橋、同田邊、弁論の全趣旨)。
5 小橋は、センターが設置されてまもなくの昭和五八年一一月ころから、電気店に勤務し電気工事士の資格を有する田邊に、センターの照明電気設備の保守管理及び大ホールでの催し物の際の照明、音響等の仕事を委託し、照明等の操作が必要な催し物がある場合にはその都度同人に依頼し、同人がこれに当たった(証人小橋、同田邊)。
6 小橋は、シーリングライトに至る経路が右のとおりであったことから、天井裏でこれを操作するのは田邊のみに任せ、他の者には右操作をさせない方針でいた。
現に、本件事故までの間、田邊以外の者が梁の上に下りてシーリングライトの操作をしたことはなかった(証人小橋、同田邊)。
右に認定した事実及び前記争いのない事実等3の(2)(3)記載の事実によれば、本件キャットウォークから本件シーリングライトのある梁上に下りるのは、電気工事の専門家である田邊に限られており、その回数も年間せいぜい数回であるところ、本件事故の場合には、原告が田邊を追って本件キャットウォークへ行った際同人が梁上に下りて作業をしているのを原告が偶然目撃したため自分もそこに下りようとしたものである。しかし、大ホールの設備内容を熟知していない第三者は、仮に自分でシーリングライトの照射角度を変更したいと思っても、そのために本件キャットウォークから下方の梁上に下りることまでは考えつかないのが通常である上に、同所はらせん階段を上り、次いで小さな片開戸をくぐり抜け、更にタラップ等を上ってようやく到達する天井裏であり、本件事故が発生するまでの間素人はもちろん照明家であっても本件キャットウォークから下方の梁上に下りた例はなかったものである。結局、本件キャットウォーク及びシーリングライトの構造、用途、それらに至るための経路、本件キャットウォークと下方の梁との高低差、梁の構造・材質、本件キャットウォークとシーリングライトの間の空間を昇降する者の専門性、右昇降の頻度等を考慮すると、不測の事態に備えて本件キャットウォークからシーリングライトに至る梯子等の安全設備が具備されていなくても、大ホールの安全性に欠けるところがないというべく、原告の転落事故は、大ホールの設置管理者である被告において通常予測することができない行動に起因するものであったといわざるを得ない。したがって、右営造物につき本来それが具備すべき安全性に欠けるところがあったとはいえず、原告のしたような通常の用法に即しない行動の結果生じた事故につき、被告はその設置管理者としての責任を負うべき筋合いではないというべきである。
なお、原告は、小橋はプロの照明家である原告が本件公演の照明を担当していることを知悉していたのであるから、原告が天井裏で本件シーリングライトを操作することを予見すべきであったと主張する。
しかし、仮に小橋において原告がプロの照明家であることを認識していたとしても、前記認定のとおり、本件シーリングライトが梁の上に下りて操作するものであることは部外者にはわからないばかりでなく、プロの照明家は従来持込みの機材によって照明をし、大ホールの設備に頼らなかったのであるから、プロの照明家であることを小橋において認識していたとしても、そのことから直ちに、原告が本件シーリングライトを操作するため梁上に下りることを予測することが可能であったと解することはできない。
二結論
以上の事実によれば、本訴請求はその余の点について判断するまでもなく、その前提を欠き理由がないので、これを棄却する。
(裁判長裁判官北山元章 裁判官畑中芳子 裁判官長野勝也)